てきとー趣味おたく

ソシャゲ、ポムポムプリン、コーヒー・紅茶、ジャグリングなど、オタク女の日常と思いついたことをつらつらと気まぐれに。

夢を見たよ

 

夢

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僕が死んだ時全ての幕が降りたりはしません。

 

 

今日は1限しっかり出席したごませんべいです。台風過ぎて冬の準備みたいな秋が来ましたがみなさまいかがお過ごしでしょうか。

 

 

 

荷物受け取る予定があったので1限終了後即帰って無限にお昼寝してました。

おかげですげえ元気です。

夢もなかなかいいものでした。才能発揮したいよ現実でも。

何度か目を覚まして「夢の続きを見たい…」と久々に思った。

 

神はいずこや(哲学)

夢といえば空想の世界、架空の世界です。

元文芸部なので自称字書きなんですけど、今朝授業に向かいながら「物語上の神はどこにいるんだろう?」っていうことを考えていました。

 

よく小説なら読者、舞台なら観客が「神視点」として語られることも多いんですけど、あくまで「視点」なだけで、「全知全能の神」とは違うんですよね。つまり物語の受け手は観測者でしかない。限りなく神に近いけれど、観客が物語に干渉することはありません。

 

じゃあ「作家」が神なんでしょうか?

作家は、その物語世界の創造神です。全知全能の神になれます。作家の意図で作品は作られ、世界が設定され、キャラクターは動きます。

神は作家説が有力な気がするんですが、よくよく考えると「キャラクターが歩んできた歴史」が描かれていなかったり、「観客(視聴者、読者など)に解釈が委ねられる」という事例があったりすると、それは神でさえ知らない事象がどこかで起こるわけです。

これによって、作家の「全知全能」というスキル(?)は崩壊します。

 

神話とか口伝とかになると、作家なんてもんは存在しない。いるかもしれないけど、そもそもわからない。神様って存在はよく出てきたりしますが、あくまで信仰対象とか自然現象の具現化であって、キャラクターに過ぎません。となると、語り部がいっそ神になっちゃうんですよね。伝える側がねじ曲げようと思えばねじ曲げられちゃうから。

 

色々考えたけどぼくにはわからない!(思考放棄)

とりあえず小説書きたい!

 

冲方丁のライトノベルの書き方講座 (宝島社文庫)

冲方丁のライトノベルの書き方講座 (宝島社文庫)

 

 高校の頃はこれとシャナ読みながら小説書いてました。懐かしいな。

 

おっちゃんに萌える

話は打って変わって、大学の先生で「おっちゃん」に属する人、可愛い人結構いませんか?

可愛いっていうとちょっと失礼かもしれませんが、チャーミングな方。

普段からほんわか穏やか、元からチャーミングな方もいらっしゃるんですけど、厳しい印象の人がふと優しさを見せるとオタク特有の変な声出そうになります。

赤ちゃんのギャン泣きにちゃっかり言及する先生。「大人になって子供預けながら授業受けられますよ!」って宣伝してくるあたり策士か。研究しにきていいんですか。

代返にあえて追求しなかった優しさ?というか甘さ?先生もやっぱり大学時代は必ずしも完璧真面目くんだったわけではないんだなぁと。

やっぱり真面目な先生だと「おい!やったやつ誰だ!」って晒し上げとかありますけど、そんなこともなく。穏やかに笑って流してくれました。ちょっと惚れた。

でも研究には真面目そうなのでチラッと見学いくくらいに留めたいと思います。

 

一番好きというか第一志望の研究室の先生は常にほわーっとしてるタイプです。すごい人のはずなんですけど、印象がね。ほわほわっとしてる。穏やか。

一度メンタルぶっこわして休学するってなった時も面談してもらったんですが「あら…大変でしたね…仕方ありませんよね…」とめちゃ困った顔で心配してくれました。すき。引き入れてください。お願いします。授業サボってごめんなさい。時間指定の荷物があったんです。

教室が合同の先生もほわっとしてる。なんか似てるな。全然違う先生なんだけど。

ほわっとしてるおっちゃんな先生好きです。

ほわっとしてなくてもチャーミングな先生いるけどもね。研究室ホワイトって噂がある。でもぼくは第一志望は譲りません。駿台メンタリティ。(違う)